安宿エレジー

ホーチミンから帰ってきた。
今回の仕入れは計4日で滞在は2日間。
お決まりの場所に行き、お決まりの品を買い、お決まりのオーダーをしただけなので、報告できるようなネタが少ないのが特徴だ。

そもそもあと2週間ちょっとでアジア周遊の買い付けに出るため、今回はなるべく無駄なお金をかけずにしないといけないのだ。
これを読んでいる方々にも経験があると思うが、無駄遣いをした後の、自販機の缶コーヒーまでケチるような感覚、そんな心境が僕の中を支配していたので、ホテル選びも百円単位でケチるようなことをしてしまった。

では今回、その百円単位でケチってしまったホテルの体験談はこちらだ。



ホーチミンの安宿には、ファングーラオエリア→シングル=1400円~2500円くらいという相場があり、いつも問題なく気に入って利用していた。
窓なし部屋は好きではないのでそれは除き、長期旅行者でもないのでドミトリーも遠慮した、いわゆるビジネスホテルのシングルみたいな部屋希望となる。

僕的にはホテルのソフト面が気になるので、エレベーターがあるとかより、フロントの周りの張り紙や植木の1つくらいは置いてあるか等を、画像で確認しながら選ぶことにしているが、今回は急いだのがいけなかった。

そのホテルは表通りから50Mくらい奥まった路地にあり、クルマはそこまでは行き来できない。
ちょっと不便だが、路地を歩きながらホテルに着くというのは、我が家的な感覚があり、決して悪いことではないと思う。
それで実際にタクシーで降り、なんだかベトベトする道を歩いていくと、そのホテルがあった。

フロントのオバサンや姉ちゃんたちは愛想がよく、その辺は問題なし。だがそこから先はこんな調子であった。

①フロントが貸しバイク置き場になっていて、床が汚いし、ホテルというよりは駐車場
②部屋が老朽化しており、壁や天井が薄黒くなっておる
③窓がないためいつも真っ暗なのと、湿気を抱えてしまうため、黴っ臭い。独房みたいだ。
④その流れで冷蔵庫も魚っ臭い。備え付けのバスタオルで顔を拭く気にはなれない(拭きましたが)
⑤極め付けでトイレの水が流れない

今どきのホーチミンなら、いくら安宿といってもこのようなザマのホテルもなかなか現れない。
特に⑤に関しては、山奥の村系宿ならまだしも、上下水道が整ったホーチミンではいただけない。
実際ホテルのスタッフにはその旨の苦情はいったが、必ず直すと言ったものの、結局それっきりにされてしまった。

どうせこのホテル、一等地という性から将来は地上げに遭い、いずれは別の商業施設に生まれ変わるのは時間の問題だ。
それなら今のうちに貴重な体験をしておかないといけない。
街歩き美学という観点からすれば、間違いではないはずだ。
美学を貫くのはたいへんなのである。

で、僕以外の豪華ゲストはこんなラインナップになる。
まずは長期滞在風のベトナム人が1部屋に2名。
腹がでっぷり出たおっさんで、カラダ中にイボがあった。
時間を置いてそこの部屋の前を通った時は、ドアの前に食べたフォーのドンブリが2枚重ねて置いてあったりしていたが、翌日になってもそのドンブリはそのまんまであった。
ホテル側が片づけるべきだと思うが、あの床にあの汚いドンブリが置いてあってもまったく違和感がないというのも怖ろしい。

次の一人も長期滞在風で、ひと癖ありそうな西洋人であった。
朝はお決まりでそのバイク置き場の長椅子で、パソコンを叩いていた。
くたびれたサイゴンカフェのTシャツが彼のオーラを物語っており、どう贔屓目に見ても近寄りたくない人物像だ。

こんな場所にいたからクセがありそうにみえたのかもしれないが、逆にそんな連中から、僕がどんな風に思われていたのかも聞いてみたくなる。
無国籍風の東洋人か、訳アリ人間にしか見えないかもしれない。
従ってそいつが3人目。

それ以外、顔は未確認だが、真夜中にヒソヒソと部屋に入る怪しい人声が聞こえていた。
おそらくこのホテル、繁華街という立地条件を生かし、連れ込み宿を兼ねているのだろう。
こんな陰気くさい所が好きなのかどうか聞いてみたいところであるが、連中らは顔を合わせるのが嫌いなようで、一度もすれ違うことはなかった。

それで先ほど説明した、外の道路が異常にベタベタな訳は、ここが深夜まで飲食屋台の客席となっていたため、お客がこぼした料理やら油やらが道路に捨てられていたという理由からである。

深夜の酔っ払い→帰れない→この際だから泊まっていきましょう→あら、こんなところにホテルが・・
という一連の流れである。嬉しいじゃないか、諸君。



そうやっているうちに安宿というのは慣れるもんである。
このホテルが手広くやっている人気店であれば、おそらく僕の部屋は6階や7階の部屋に廻されたはずだ。
エレベーターはこのクラスにはないため、たったコンビニに行く用事であっても、いちいち7階分昇り降りしないといけないところであった。

仮に窓があったり、通りに面した部屋であったりすれば、深夜まで騒音に悩まされるだろう。
下界と遮断された空間というのは、この界隈なら独房レベルじゃないと実現できない。
クーラーの効きが悪いというのも、効き過ぎで寒すぎるホテルがアジアには多いのを思い出せば、逆にこの方が良いとも言える。
スタッフはすべて身内で固めているので、なにかの時にも応対はスムーズだ。
トイレが流れないのはバケツと洗浄用シャワーでなんとか凌いだ。



人間不思議なもので最初のうちはムッとしていたが、気がつくとまったく気にならなくなってしまっている自分に気づいた。
逆に買ってきたバインミー(フランスパンのサンドイッチ)を食べる際、食べかすがボロボロ床にこぼれても気にならないし、安眠できることが最優先できたし、記憶に残る宿という観点から考えると、記憶に残るから合格である。

なにぶんにも自分が安宿向きな人間であったと言えなくはないが、次回の安宿はどんなのが待っているか、今から楽しみである。
美学は貫くべきだ。


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ホーチミンに行きます

急な話だが、おとといの4月16日ホーチミンに行こうと決めた。
仮に行くならなるべく早くだ。しかもなるべく短く。
ついでに来月また同じホーチミンに行かなくてはならないため、なるべく安くの、「3なるべく」でなんとなならないかと検索してみた。

普段ならこんな急な計画はしない。
今回だって3月からインドに行くかミャンマーにするか、グタグタこねくり回していた最中だったのだ。
その旅は5月11日発と決まった。
計画を作り上げていた矢先に、別の形でベトナムバッグがどうしてもこの時期に必要となったため、割り込むような形で今回のベトナム行きが生まれたのだ。

チケットを取るのはどうせ無理だろうと思っていたのだが、探せば案外あるもので、実は明日19日発で4日間日程のフライトが手に入った。
僕はてっきり直前のフライトはそれなりの理由があるということで、各社便乗値上げをするんじゃないかと思っていたのだが、空席があれば、それなりのお値段で乗せてくれるということも判った。

チェックしてみると、ホーチミン往復で20万とか、帰りは30時間かけて帰ってこいとか、罰ゲームみたいな回答が待っていた場合もあるにはあるが、それをうまくかいくぐると、なんとか席はあるもんである。
4月中旬だと日本人利用は少ないかもしれないが、今や日本発着便は海外ゲストの方が多い時代だ。
昔みたいにゴールデンウィークだけが値上がりしていて・・みたいな現象も薄いようだった。

そのため昨日は仕事先へのアポやら書類作り、ホテル探しにグルメ事情など、必要な作業から不必要な作業までいろいろ追われた。
今日は出発までのラストデイとなり、そうなるとブログどころではなくなってしまっている。

予定では「デリーのバザールで暮らすおっさんたち」という、かなりユルい話題を報告しようと思っていたが、久々忙しい男、できるビジネスマン、敏腕バイヤーとしてのべぇべぇべぇを演じてみたいと思う。

北京経由なのでちょっと遠回りだがな。
これだと敏腕じゃなくてB碗バイヤーかも。まぁいいや。


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インドの染織布を訪ねる旅

先月から僕はモーレツにインドに行きたくなってしまっていた。
そのついでと言ってはなんだが、昔の写真が見たくなり、段ボールをガサガサ掘り出したところ、デジカメではなく、昔のフィルム写真で撮った懐かしのインドが写っていたので紹介したい。

テーマは、「インドの染織布を訪ねる旅」とでもしておこう。



我々が一度は必ず目にする、エスニック柄・綿100%のマルチカバー1枚布だ。
それを探す旅である。
2000年の頃の話だ。
僕はその頃、アジアのハンディクラフトに興味を覚え、できれば原産地で買い付けを行い、しかも買うだけでなく、できれば作っている場所そのものを訪ねたいと思っていたのだ。

当時のネット環境は今ほど万全ではなかったが、いろんなガイドブックを読んでいくうちに、ラジャスターン州のジャイプル近郊でそれらの布は作られているということまではわかった。

その当時僕はインドには行った経験こそあったが、ラジャスターンはまだ初めてであり、そうなると幾分緊張しないでもなかったが、ジャイプルという町は比較的行きやすい町であったため、モチベーションがあればなんとかなると思っていた。
日程もジャイプルだけで4・5日くらいは見積もっていたような気がする。

デリーから何というかは忘れてしまったが、いわゆる特急に乗り半日かけてジャイプルに到着。
そうやって町いちばんの繁華街、バブーバザールへと出向いた。



そこにはマルチカバーを扱う専門店が多数軒を並べているのだが、その中でも比較的手広くやっている店を選び、買い物をしながら、染めの技法やらデザインの名称についてインド人店員らと会話を弾ませた。
インド流の商いとして、自分がどのように振舞ったらベストなのか心配ではあったが、想像するにインド人はいつもオーバーなので、この際だから自分を大きく見せて対等にやっていったらいいんじゃないかと思った訳だ。

「ジャイプルで、木版で染めた布を買い付けたいのデス」

名刺1枚持たないインチキ野郎であっても、キチンとした質問や要求にはしっかり応えてくれるのがインド人だ。
さっきまであぐらをかいていた、腹のでっぷりとした店長が立ち上がり、
「ニホンジンはそうやって、時々自分らの商品を買いに来てくれマス。それは私たちの生地のクオリティが高いからなのでショウ。ぜひ明日工房にご案内しますから来てクダサイ」
とにこやかに応対してくれたのだ。

翌日、工房から髭もじゃの男集団が駆け付けた。
それで自己紹介すると、店長はやはり染め工房の経営者家族の一員であり、ジャイプルのお店はインド人向けに商いされていたのだ。
工房の方はと言うと、もっともっと手広くビジネスが広がっており、日本の有名な商社との取引もあった。
それでも自分らの懐まで出向いた奴なら、誰でもウエルカムなところがインドの良さで、僕のような個人相手であってもどうぞどうぞと招き入れてくれるのだ。インドが正しい。

工房は広大な敷地になっており、インド人の男女がマイペースで働いている。
住み込みの家族も多いのか、どことなく1つの村の中にいるような感覚だ。
僕が第一に見た物は、調達した反物を染め上げる作業からで、このように生地が天日にさらされていたのを見た時は、実に感動した。



工房ではまずデザインの元である木版づくりを紹介された。
木版は一度作ってしまうと何年も使いまわしが利くため、常に工房内で作らなくてはいけない物でなく、僕きってのお願いということで、わざわざ別の木版工房を案内してくれた。アリガトウ。
これだ。



このようにしてできた木版で染めた布のことをブロックプリントというらしい。
象柄は特に有名なので、なにかのシーンでこのような布を見かけることも多いはずだ。
その布はこのようなハンコから作られるのだ。ついでに左は馬柄。



工房ではインド人のおやっさんたちがバンバンバンと威勢のいい音を立てながら木版を押しまくっていた。
寡黙そうなおやっさんだが、外人がくると嬉しいのか、目線を合わせようとしてニヤニヤしている。
やはりインドが正しい。

何層にも柄が重なり合うように描かれているのがこのブロックプリントの特徴で、その柄を出すために、おやっさんたちは1枚の布地のために何十回となく木版をバンバン押しまくる。
柄と柄のつなぎ目は、職人と言えども微妙にずれることもしばしばであるが、そのあたりをあまり気にしないところが逆にこの布地の気楽さを繋ぎだしているのかもしれない。





草木染めを期待してはいたが、残念なことのその当時の時代であってもすでに草木染めは過去の話であった。

1枚いくらくらいかだが、この工房では生地からワンピースなどの洋服までを製作していたため、生地自体の価格はわからなかった。
というか、写真はこのようにして家の段ボールから出てきたが、当時の資料を整理していないため、ジャイプルで売られていたようなマルチカバーの値段もよく思い出せないのだ。

それでも日本の販売価格と比べて、びっくりするような開きがある訳でもなかったので、わざわざジャイプルまで飛んで行き、しかも工場見学までさせてもらう経費までは落ちないということになる。
大量に仕入れして大量に販売しないと元が取れないのだ。
自分の知識のためにここまでやってしまったが、2年くらい取引きした後に、この工房とのお付き合いは自然消滅してしまった。
残念だが世のご時世には逆らえないし、はるばるインドからやってきた更紗を適正価格で売るという時代ではなかったのだ。



それでもジャイプルの町を思い出す度に、この工房が浮かんでくるし、そうやって買い付けた物を運んだり送ったりしたのもいい思い出である。

運ぶときはサイクルリキシャ―の助けを借りるのであるが、やたら重たい物を持っていると、それが話題になって人が集まってきたりするのが楽しかった。
セコイ話で恐縮だが、旅行者がリュックサックを担いでいる状態で値段交渉するより、買い付けたお店さんに頼んでリキシャ―を呼んでもらった方が、あの重たい荷物があるにも関わらず安い値段で運んでもらえた。
ツーリストプライスからローカルプライスになるのである。
インドにはインドの流儀みたいなのがあって、それに乗っかっていくと、見えてない世界も見えてきたりした。



ランチ時は経営者家族の手作りカレーをお呼ばれし、インドの家庭料理を堪能できたし、その中でもオクラのカレー(ビンディマサラ)が絶品であった。
ただし、インド流でいつも出てくるのが遅く、我々が12時過ぎに集まってきても、2時を廻らないと食事にありつけなかったのが辛かったが・・
それもまたインドの流儀である。

*素人レベルの工場見学なので、内容に間違いがあるかもしれません。
専門家のみなさん、大目にみてください


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わたしのお家はお山の向こう(ミャンマー準備編)

-前回からの続き-

旅のプランは振り出しに戻ってしまったが、旅のINとOUTはすでに決まってしまっている。
詳しく説明すると、5月13日の夜にホーチミンからバンコクに着き、5月18日の夜便でバンコクから日本へ帰国することとなっているのだ。
その間の5日間をどのようにアレンジするかだが、バンコク発着で存分にできる最大のプランを僕は練りたかった。
そういった意味では今でもコルカタに魅力を感じるのだが、この15年くらいずっと中華圏と東南アジアばかりを渡り歩いていた僕にとって、インド圏というのは、また違った別の次元だということに今更ながら気づいた。

どうでもいいと思われるかもしれないが、僕にとってこの15年は同じ国ばかりを歩いてきた訳で、それはそれで良かったし否定したくないが、そろそろ新天地開拓をしたくてしょうがないのだ。
ただしその新天地とやらも、これまで旅してきた地域から、180度ガラッと変えたくもなかった。
例えばシルクロードみたいに、民族間の交流や人が歩んできた歴史をそのまま走破したいと考えるのも、当然あっていいのだと思う。



そんな中でいろいろ検索してみると、ミャンマーが急浮上した。
アジア旅行者の間では、ミャンマーが今いちばん熱いようだし、調べれば調べるほど、早く行っておかないといけないような気にもなってきた。
更にいろいろ探っているうちに、マンダレーから入国すれば容易にタイの向こう側、すなわちミャンマーサイドからすると辺境のシャン州の町にたどり着けるということもわかった。

シャン州というのはこれまた不思議な州で、中国との国境近くはかつてのビルマ共産軍の勢力が残り、未開放地区となっている。
外国人である我々は、今の時代であっても入境が認められていないようだ。
それでもマンダレーからちょっと山に入っただけで、シャン族やパラワン族、コーカン族や元日本兵の末裔までが暮らしているらしい。
シャン族自身も本来はタイ・ヤイ族といい、まぁタイ王国のタイ人のルーツだというからややっこしい。



言語もシャン語かと思いきや、タイ語も中国語も場合によっては通じるらしい。
これは紛れもなく、この地がビルマ圏ではなく、ビルマと中国、それにタイに囲まれた地域だということに他ならない。

1民族が1国を築いているのではなく、1民族が複数の国にまたがって暮らしており、その同じ民族でも接している他民族との攻防の歴史から、端と端では少しづつ文化の色が変わる。
それに重ねるかのように共産党の影響や大戦、それに伴う貧富の差など、解りづらいことこの上ないが、タイ国や中国に触れてきた者であれば、少しは整理してその奥にある場所を突き止めてみたいという欲求に駆られるのである。

僕的には中国の向こう側、タイ国の向こう側はどうなってるのかという、フィールドに則った方向性を感じていたため、ミャンマーはミャンマーでも、今回はすまんがミャンマーらしいところではなく、今まで通っていた場所の向こう側というテーマでやってみたいと思ったのだ。

東南アジアの山岳部にはたくさんの少数民族が暮らしており、つい数十年くらい前までは国境という概念を持たずに生活していたことを考えれば、東から西にゆっくり攻めていく旅というのは、なかなか自然の法則に則った旅なのではないかと思う。
我ながらあっぱれだ。



テーマまで見つけてしまえばやる気も俄然沸く。
まずはかなり昔に読んだ本、高野秀行著の「アヘン王国潜入記」や、お茶はお茶でも食べるお茶がミャンマーにはあるというのを思い出し、森下ヒバリ著「タイのお茶アジアのお茶」という本も、本棚から引っ張り出した。
両者とも旅本の域を完全に脱してしまった学者レベルの旅人であり、こんなの読んでもマネはできないのだが、すでに僕の頭は完全に陶酔してしまっている。



決まったのだからさっそくミャンマービザを取らなくてはならない。
検索してみるといろいろ案内が出てきて、どうやら直接大使館に行かなくても郵便でのやり取りでビザが作れるらしい。
ソンクラーンの大型連休が控えているため、とにかく早めに作ろうと思い昨日せっせと申告書を記入し、ビザ代支払いのため銀行に向かった。
しかし肝心のビザ代の振り込みができないのだ。
原因は僕が出向いた地方銀行からでは、その口座番号がミャンマー大使館の口座であるかどうかの判断がつかないらしい。

帰宅して検索してみると、どうやらミャンマー大使館の口座が外国住所で、それでどうのこうのと揉めるから、まぁ簡単な話、振込むなら大使館口座を管理している三井住友銀行五反田支店で振込めみたいな情報がいっぱい出てきた。

「チキショー、迂闊だった」と吠えてしまったが、その直後に先ほどの地方銀行の窓口から、「先方の支店に問い合わせしましたら、問題なく振込めることがわかりました。お手数をおかけして申し訳ございません」という、かなりありがたいメッセージが返ってきた。



あっ、よかった、無駄ではなかったと思い、胸をなでおろした。
そして買ったばかりの地球の歩き方をペラペラめくると、「ミャンマービザは、インターネットで作るeビザがいちばん簡単で安い」と書いてあるではないか。
「ミャンマーeビザ」で検索すると、こちらの方が大使館で作るよりお勧めだという同様な情報で溢れており、焦っていた僕は、今回時代遅れの大使館での収得を目指していたことに気づいた。

早くもオレのミャンマー旅行は大丈夫なのか、時代についていけるかと、心配になるばかりである。



「能書きはいいから、騙されるなよ」と言われそうなスタートだな。

*写真は昔収めた、北タイとミャンマー国境の町タチレクになります


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「インドが僕を呼んでいない」

実は3月の頃から、インドに行きたくなって仕方がなかった。

インドはよく、「呼ばれて行くもの」と言われているが、僕にとってインドは、なかなか呼んではくれない国であった。
2000年を最後にインドからは遠ざかっているので、かれこれ17年は離れてしまっている。
その間、カレーが食べたくなったり、仕入れでちょっとだけインドに行きたいとも思ったが、まぁその程度のことに過ぎない。
呼ばれて行くほどの理由ではないし、その間の17年間は、いちおう社会人べぇべぇべぇとして、まぁ許してはもらえない状況下でもあったのだ。

「インドに行って人生が変わる」
よく言われている喩えではあるが、「人生を変えてもいけなかった」のである。



そんな17年間ではあったが、時代も変わるし、僕の買い付けラインもそろそろ見直さなくてはならない時期にさしかかってはいた。
意識していた訳ではないが、知らないうちにインドビザの習得方法を学んでいたり、気づいてみたらコルカタの情報収集に励んでいたのである。

「インドが呼んでいる」
紛れもなくそう思いはじめた。



斯くしてホーチミン・バンコク・コルカタ、偉大なる3都市の旅が企画され、東京―ホーチミンーバンコクー東京のフライトは確保された。
残すはバンコクーコルカタの往復だけとなり、それも期待通りのフライトが見つかった。

コルカタは言わずとも知られた大都市である。
とにかく人がうじゃうじゃいる。居すぎて路上にも人が溢れている。
僕もインド人との絡みが好きな方なので、コルカタでバカやってくるのはまんざらではなかったし、当時の面影を探るのもいい案だと思っていた。
「人生を変える」のにはいいターニングポイントだし、実は「インドに行ったくらいで人生は変わらない」というのも、体験として心得ていた。
アクの強い人に会いたかったし、人に囲まれて楽しい旅をしたいとも思っていた。



仕入れの方がうまくいくかどうかわからないが、逆に何もなければ何も買わないという気楽な気持ちでいかないと、新天地開拓はやっていけない。
インド雑貨探しというよりかは、今やっている東洋アジアの流れで、インドがちょこっとあったら派手目でおもしろいと思っているくらいだ。
空振ってもなんら問題はないし、プレッシャーがない分、なにか面白い物に出会えるかもしれない。

そう思い、何冊かの本も取りそろえ、インド大使館にも問い合わせをした。
インドインドインドと呪文のように唱えはじめ、昔訪れたコルカタのハウラー駅やパークストリートなぞを検索してニヤニヤする日々が続いた。



今付き合いのある仕入れ先はベトナムがメインで、タイと上海が続き、時々香港・広州もある。
すげーと思ってはいけない。
上海香港はすでに縮小気味で風前の灯火である。
このタイミングで新たな新天地を加え、新しいことにチャレンジしなくてなならない時期にさしかかっており、そうなるとコルカタ行きは今回の1回ポッキリ渡航だけでなく、この先何年化計画でお付き合いをしていかなければならない。
そんな風に思ってみると、やはりインドは広すぎた。
当時の記憶を辿ってみても、短期買い付けでざっと2週間くらいはかかっていたはずなのだ。

今回はコルカタだけで3日滞在。
田舎に行くこともないだろう。
そこから仕入れの開拓を広げていったら、結局デリーやラジャスターンに行かないと満足しなくなってくる訳で、ラジャスターンはジャイプルやアジメリなど、各都市周遊の必要性もある。
ラジャスターンに行ったら、お店はエスニック商品で溢れ、今あるベトナム雑貨との調和も崩れ、もう収集がつかなくなるのではないか?



斯くして「インドが呼ばなくなった」

話は振り出しに戻ってしまった。

-続く-


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べぇべぇべぇ

Author:べぇべぇべぇ
アジア各地で仕入れの仕事をしながら旅を続けてます。

記事は市場や路地裏などを舞台にした、人間ウオッチングが中心になりますので、交通手段や食堂、ホテル、そういった旅の身の回りも登場します。
旅のスタイルは、トレンドとはほど遠い、アナログ的な旅となりますので、参考にならないかもしれません。

街歩きが好きな旅人、大歓迎です。ブログを通じてお互いコミュニケーションが取れればと思ってます。

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